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Okeno Catanikus +T

非電源卓上遊戯の話題をつらつら綴ったり綴らなかったり。

いいセンいってたんじゃん。

現在、所属しているボードゲーム制作サークルのメンバーは四人だ。しかし、現メンバーに加え、あと二人所属していた。その内の一人はこのサークルの立ち上げ人だ。俺の高校の後輩でもある。

当初、制作する作品の案出しを全員で行っていた。そのうち、得手不得手があるのだから分業した方が効率がいいだろう、ということで分業化したのだが、もちろんゲームのシステムに関しても、最初は全員が頭を突き合わせてネタを絞り出していた。

前述の後輩も、後に分業化で販売・営業の立ち回りをすることになるのだが、この時はネタ出しを一緒に行っていた。そして、彼の出した案の一つに『真ん中オークション』というものがあった。

全くもってそのまんまのネーミングだ。オークションをテーマにしたゲームで、中間の金額を提示したプレイヤーが落札できる、というシステム。彼から詳しいゲーム内容は聞いていないし、俺もこの案について深く考えはしなかった。ただ、中間金額提示者が落札できるという点を、彼は『奇抜なアイディア』として推してきていた。

この案に関して、俺は良い色を示さなかった。何故なら、中間金額提示者が落札できる、という話を聞いて真っ先に思ったのが、『オークションとして成り立たないではないか』ということだったからだ。オークションは最も高い金額を提示し実際に支払うからこその『競り』が発生するわけで、中間を言い当てるのに『競り』は発生しない。これはオークションと言えるのか。いや、そんなオークション聞いたこともない。

一歩下がって、そういうオークションスタイルがあると仮定して、ではそれをゲームに落としこむにはどうすればいいのか。そもそも中間を言い当てるのに、基準となる値はどう提示するのか。それが提示できないのであれば、最早ただ言った値がたまたま中間だった、という事を喜ぶだけの運ゲーになってしまう。それは果たして『ゲーム』と言えるのか。少なくとも当時の俺に、それは『ゲーム』とは言えなかった。

その話からおよそ一年後のゲームマーケット2014秋、カワサキファクトリーの絶版作品『クイズいいセン行きまSHOW!』をアークライトゲームズがリメイクし、発売した。80年台のクイズ番組のテイストを出したアートワークは記憶に残っていたが、ゲームそのものはパーティゲームだと分かっていたので購入リストからは外していたし、ゲーム会でたまたまプレイするまでこれっぽっちも興味はなかった。

もちろん否定的な所見は(俺の悪い癖である)多面性に気付けない物の見方と(更に悪い癖である)流行りモノは嫌いという思考回路から来ていた。実際にプレイすると、ルールを一読した時に感じていたテンション後押しの単純パーティゲームとは全く違う、『中間を当てる』という行為の悩ましさと、当たった時の嬉しさを味わうことができた。パーティゲームであることに変わりはないが、決してつまらなくはなく、皆で楽しめるそれはまさしく『ゲーム』だった。

このゲームにおいて『真ん中を当てる』というのは、基準も何も無い本当に手探りの行為であったが、それを後押し、むしろ肯定しているのは『クイズ番組』というテーマだった。今は無きこういったタイプのクイズ番組は、確かに回答者が手探りで答えを探す姿がブラウン管を通して映し出されていた。それを見ていた俺達も、回答者同様に答えを探したり、回答者の珍回答や名回答を馬鹿にしたり驚いたりして楽しんでいた。そして、頭の片隅には『俺があの場に居たらもっと上手くやるのに』という考えすら抱いていた。その『もし』を、『クイズいいセン行きまSHOW!』は再現したのだと思う。

話を戻そう。後輩が出した『真ん中オークション』に、ゲーム性も、テーマの合致も見いだせず、ただこれは成り立っていないと一蹴した。そんな俺は一年後に、同じ事をやっているゲームを楽しいと感じていた。一年の間に『ボードゲーム』に対する見方や考え方が変わったからなのかもしれないし、『クイズいいセン行きまSHOW!』の作り方が上手いからなのかもしれない。

事実、このゲームはテーマとシステムの合致においてものすごい融和性を見せていると思う。『中間を当てる』という行為が、ここまでしっかりとした意味を持たされている。ゲームを成り立たせるために提示されたルールが、その環境に無くてはならないものとして存在しているのだ。同じ『中間を当てる』ゲームでも、オークションでは説得力不足でも、クイズ番組なら納得がいく。

例えば、ゲーム作りに必要なのは、こういった発想の転換というか、視点の変え方だったり気付きだったりするのかもしれない。視点を変えたり気付きを得られれば、宝石のような輝きを見せるし、逆にそれができなければただの石っころとして扱ってしまう。随分過去の事ながらもこの事に気付いた俺は、同時に『宝石の原石』を一つ蹴り捨てていたのだとも気が付いた。

現在、新作の案出しは作業の遅さと相まって思うようにいっていない。若干スランプ気味だ(と言いたいが普通に手を動かしてからモノを言った方がいいな、とも思う)。仕事から戻り、風呂に入りながらふと、上記のような考えに思い至った。

「あいつのほうがいいセンいってたんじゃん」と胸中で呟いた。